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ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実

なぜ一冊の週刊誌が業界をリードし、読者からの絶大な信頼のもと毎号数十万部を売り上げ、そして、崩壊したのか? 闘っていたのはレスラーだけじゃない!
『週刊プロレス』に青春を捧げた元記者による‘平成ノンフィクション’。

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コメント

  1. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、

    週プロの主にインディの担当だった小島和宏による自伝。

    今はプロレス界から離れてることもあり、内幕にまで踏み込んでおり、読みごたえがあった。

  2. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実 (朝日文

    何気なく手にとって読んでみたが、これが夢中になって読んでしまった。

    世代的に、小学生の頃からプロレスアルバムを買い、デラックスプロレスを読み、週プロが創刊されば毎週買い求め、社会人になってからは毎週水曜の夜に新橋の駅前の売店で早売りを買い求め、もちろん「夢の架け橋」にもワクワクしながら出かけた自分にはドンピシャであった。

    プロレス記者、プロレスマスコミってこういうもこだったのかということよりも、それがどれだけ充実していたかということが伝わってきた。
    まさに青春記であった。

  3. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、

    「日刊では浅すぎる。
    月刊では遅すぎる」

    中学2年生の時に、月刊プロレスが週刊化された。

    なけなしの小遣いの行き先は、少年ジャンプから「週刊プロレス」になっていく。

    学生時代にプロレス会場に行く金などなかった。

    インターネットもなかった。

    だから、数百円の「週プロ劇場」にのめり込んでいった。

    発売日の木曜日となれば、通学の電車でむさぶり読んだ。

    コンビニの雑誌コーナーに深夜に最新号が並ぶのに気がついてからは、近くのファミマに日付が変わると同時に駆け込んだ。

    毎週のことなので、店長さんが一部必ず取っておいてくれるようにもなっていた。

    そんな私と同年代の筆者は、学生時代にアルバイトから週プロ編集部の一員となった。

    好きなものを仕事にできる喜びと悲しみ。

    試合を見て、記事を書き、写真を選び、見出しをつけて、入稿していく。

    日本中の読者からの圧倒的な反応がある。

    そして、取材対象であるレスラーたちとの深い関係にもなっていく。

    関わりすぎて一線を越えた関係の先にある悲劇。

    若いからできた。

    情熱だけで走り続けた。

    寝なくても平気だった。

    「それは、『何よりもプロレスが好きだから』。
    その気持ちだけで耐えてきたんだろうね。
    そういう気持ちを強く持っていれば、自分がいま、地獄にいることすら気がつかない。
    昔の全女にに相通ずる部分があるから、私にもよくわかる」

    「そう、プロレスの記事を書くことは『闘い』なんだ」(巻末の長与千種による「解説」より)

    そして、この「青春記」は、私と同じように狂った季節を共に過ごした読者がいたから出版された。

    当時白夜書房の編集者で、現在は作家となった樋口毅宏は、筆者をこう口説き落とした。

    「ここで本を書かなかったら、小島さんが見てきたこと、体験してきたことは、すべて“なかったこと”になってしまいますよ。
    それでいいんですか? もったいないですよ!

    熱く狂った時代の青春記に、ほろ苦い思い出が蘇る。

    「プロレスとはゴールのないマラソンだ」(武藤敬司)との言葉が頭をよぎった。

  4. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、

    自分も確実にこの時代の「週プロ」の躁状態に巻き込まれていました。
    当時はターザン山本のクレージーが「週プロ」の躁を作り出していたと思っていましたが、確かに「週プロ」の「週プロ」たる由縁は、FMWやW★INGなどのインディーズ、全女やJPWなどの女子プロレスへの肩入れが、ページで弾けていることによって生まれていたような気がしてきました。
    たぶん、くどめが表紙というサプライズの時もピンクの差し色でプロレス雑誌らしからぬデザインに拍手気分だったことを思い出しました。
    インディーズはフロントが脆弱なため、メディアへの依存が激しく、団体核分裂時代だからこそ、次々生まれるインディーズがメディアをホールドしょうとし、メディアもインサイドにどんどん入っていき、熱情とストーリーテリングでそれを紙面としていく…何者でもない無名の団体、無名のレスラーと「週プロ」に記事を載せたいと思う若手記者のコラボレーション、これまさに「青春記」という題名で正解です。
    「活字プロレス」というファンタジーが、インディーズにまで広がった時代が週プロ全盛期だったのだと思います。
    「総合格闘技」というリアル(でもこれもファンタジーでしたが…)が吹き荒れてファンタジープロレスの火を消してしまう前の、一瞬の燃え盛りが週プロの躁状態だったのかも知れません。
  5. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、

    「日刊では浅すぎる。
    月刊では遅すぎる」

    中学2年生の時に、月刊プロレスが週刊化された。

    なけなしの小遣いの行き先は、少年ジャンプから「週刊プロレス」になっていく。

    学生時代にプロレス会場に行く金などなかった。

    インターネットもなかった。

    だから、数百円の「週プロ劇場」にのめり込んでいった。

    発売日の木曜日となれば、通学の電車でむさぶり読んだ。

    コンビニの雑誌コーナーに深夜に最新号が並ぶのに気がついてからは、近くのファミマに日付が変わると同時に駆け込んだ。

    毎週のことなので、店長さんが一部必ず取っておいてくれるようにもなっていた。

    そんな私と同年代の筆者は、学生時代にアルバイトから週プロ編集部の一員となった。

    好きなものを仕事にできる喜びと悲しみ。

    試合を見て、記事を書き、写真を選び、見出しをつけて、入稿していく。

    日本中の読者からの圧倒的な反応がある。

    そして、取材対象であるレスラーたちとの深い関係にもなっていく。

    関わりすぎて一線を越えた関係の先にある悲劇。

    若いからできた。

    情熱だけで走り続けた。

    寝なくても平気だった。

    「それは、『何よりもプロレスが好きだから』。
    その気持ちだけで耐えてきたんだろうね。
    そういう気持ちを強く持っていれば、自分がいま、地獄にいることすら気がつかない。
    昔の全女にに相通ずる部分があるから、私にもよくわかる」

    「そう、プロレスの記事を書くことは『闘い』なんだ」(巻末の長与千種による「解説」より)

    そして、この「青春記」は、私と同じように狂った季節を共に過ごした読者がいたから出版された。

    当時白夜書房の編集者で、現在は作家となった樋口毅宏は、筆者をこう口説き落とした。

    「ここで本を書かなかったら、小島さんが見てきたこと、体験してきたことは、すべて“なかったこと”になってしまいますよ。
    それでいいんですか? もったいないですよ!

    熱く狂った時代の青春記に、ほろ苦い思い出が蘇る。

    「プロレスとはゴールのないマラソンだ」(武藤敬司)との言葉が頭をよぎった。

  6. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、

    週プロの主にインディの担当だった小島和宏による自伝。

    今はプロレス界から離れてることもあり、内幕にまで踏み込んでおり、読みごたえがあった。

  7. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実 (朝日文

    何気なく手にとって読んでみたが、これが夢中になって読んでしまった。

    世代的に、小学生の頃からプロレスアルバムを買い、デラックスプロレスを読み、週プロが創刊されば毎週買い求め、社会人になってからは毎週水曜の夜に新橋の駅前の売店で早売りを買い求め、もちろん「夢の架け橋」にもワクワクしながら出かけた自分にはドンピシャであった。

    プロレス記者、プロレスマスコミってこういうもこだったのかということよりも、それがどれだけ充実していたかということが伝わってきた。
    まさに青春記であった。

  8. user より:
    ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、

    自分も確実にこの時代の「週プロ」の躁状態に巻き込まれていました。
    当時はターザン山本のクレージーが「週プロ」の躁を作り出していたと思っていましたが、確かに「週プロ」の「週プロ」たる由縁は、FMWやW★INGなどのインディーズ、全女やJPWなどの女子プロレスへの肩入れが、ページで弾けていることによって生まれていたような気がしてきました。
    たぶん、くどめが表紙というサプライズの時もピンクの差し色でプロレス雑誌らしからぬデザインに拍手気分だったことを思い出しました。
    インディーズはフロントが脆弱なため、メディアへの依存が激しく、団体核分裂時代だからこそ、次々生まれるインディーズがメディアをホールドしょうとし、メディアもインサイドにどんどん入っていき、熱情とストーリーテリングでそれを紙面としていく…何者でもない無名の団体、無名のレスラーと「週プロ」に記事を載せたいと思う若手記者のコラボレーション、これまさに「青春記」という題名で正解です。
    「活字プロレス」というファンタジーが、インディーズにまで広がった時代が週プロ全盛期だったのだと思います。
    「総合格闘技」というリアル(でもこれもファンタジーでしたが…)が吹き荒れてファンタジープロレスの火を消してしまう前の、一瞬の燃え盛りが週プロの躁状態だったのかも知れません。